知覧特攻平和記念館を訪れてみて

本日、念願の

知覧特攻平和記念館

へ行くことができました。

こうやって行って来られるのも、

本当に様なご縁のおかげ、

ご加護のおかげ。

皆様ありがとうございます。

本当に。衝撃的でした。

第2次世界大戦末期。

日本は戦況が悪化し、

ついに最終戦略、

帰りの燃料も積まずに

敵艦を発見したら即、

アメリカより先に

體当たり

を決行せねばこちらが逆に砲撃される。

沖縄沖、沖縄を占領しているアメリカの空母を

キラン!と見つけた瞬間、

1000mまで零戦や隼の編隊は浮上し、

敵艦発見、ワレ突入ス。

そして1000m上空から

40度の俯角をつけて、

時速300km。

最終突入速度が

時速350km。

速度が遅いと空母を轟沈ごうちんさせるほどの

破壊は起きないという。

そして突入するまでは、

敵艦の煙突の根元か甲板の中心を狙うよう、

目を閉じてはならない。

時速350kmで

1000m上空から目を閉じずに、

祖国のために

17歳32歳の若い男子が

自らの命を投げ打つ。

富士急ハイランドのフジヤマの比ではない。

今の日本での新幹線の通常最高速度が

東北新幹線はやぶさで時速320km。

新幹線の先頭に

自分がくくりつけられるようなスピードで、

翼に爆弾を積んで、

敵艦に1000m上空から飛び込む。

しかも必死。

そして自分が狙っている

その米国艦隊からの砲撃を

受けながらそこに飛び込む。

ワレ突入スから、

父母のことを思い、

愛する人のこと妹弟のことを思い、

敵艦空母に突入するまでの間。

わずか15秒。

そこで全てを決める。

出撃の2時間前に書いた遺書

祖国日本が平和で守られますよう、

身は一番南の海に散りぬるも

魂魄こんぱく永久とわに

皇國くにを護らん

たった21歳の青年。

父上様母上様

ただいまより出撃いたします

先駆けし友に遅れし我もまた

死して永久とことわに

皇國みくに護らん

22歳

現在の私には生も死もありません。

あるものはただ皇國の安泰のみです。

24歳

今はもうすべての俗念も捨てて

清しい気持ちです。

では行ってきます。

皆様御元気で。

四月二十八日十五時さようなら21歳

任務に向かって生死を超える。

もちろん前日に告げられた出撃命令の晩は、かなりの少年たちが布団の中で涙しているそうです。

母は良い。

母ほど有難いものはない。

母!母!20歳

そして翌朝、自らの命を國に捧げる。

衝撃的でした

彼らが洋上で散華していった時。

遺された人たちへ

日本再興を祈っている。

知覧を見て、特攻隊の尊い命を見て、

では村松は何ができるか。

私の年齢の半分ほどの若者たちが

命を使って成し遂げているミッション。

そのような方、

1036名の特攻があり、今の日本がある。

その若者たちが

平和でありますように

と祈っての日本国がある。

平和な考え方で、

平和な人間関係で

アメリカもどこも全て同じ生命、

と捉えられる、より大きな規模での自分を

感じられる智慧を、私自身も生き方として

深めていくし

教育を通して、

根底に込めて伝えて行きたい。

そして、本当に自分自身の生き方を全うする。

国のせいでも親のせいでもなく、

私自身がまず自分本来の主体性のある生き方を生きる。

そして自らの人生を生きる人物を創出する。

ますます深まりました。

一緒に来てくれた長男次男も、

語り部の話も聞いて、

もっと平和にしてかなきゃ、って思った。と。

彼らの遺志を継いでくれますよう。

泣けすぎます。

ぜひ。一度行ってみてくださいね。

開華沼田用に。

子供達にも見てもらうために

本も購入しました。

衝撃をありがとう。

かつて20年ほど前

チベットに行った時に。

現在チベットは中国の自治区なのですが、

ラサの橋を渡る際、

橋の両端に銃を持って私たち通りゆく

車をチェックしている、童顔、明らかに中学生くらいの

中国人を見ました。

その時も衝撃的でした。

そしてなぜ俺は平和な日本に生まれたんだろう。

チベット滞在中、ずっと考えていました。

なぜ、何をしに日本へ帰るんだろう。

銃を持たなくても生きていけるんだよ。

平和な考え方をしていくんだよ。

自分本来に素晴らしいものがあるんだよ。

人に頼る、人から奪うものではなく

あなた本来に素晴らしいものがあるんだよ。

それを伝えるために、日本へ帰るんだ。

その時のような衝撃でした。

標高4800m

ヤムドク湖のほとりにて

こちらはチベット人の子供達。

私は高山病ガンガンでした(o)